自由記述

ネットの海底

滝沢歌舞伎ZERO2020 THE MOVIE版の黒影組について

※頭の悪い感想と虚妄 語彙は無い 中身も無い

 

以下、おかぶき2020が公開された当時に殴り書いたメモをそのまんま転記しています。公開当時の文章なので悪しからず…

 

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人って失ったものに対してメチャクチャ執着する生き物じゃないですか。

黒影組3人にもそれぞれ執着しているものがあって、私個人がそれぞれに強く感じた執着は以下。

官兵衛→明るい未来への希望

以蔵→江戸という町(やたらと新吉が思い描く江戸というものに興味を示していたので)

半兵衛→生命、信頼

だとわたしは思っていて。


半兵衛の執着が目に見える点としては、「官兵衛に対してのみ盲目的」なところ。

忠誠心というよりかは多分依存に近いところがあるんじゃないかなと。

これはメガマックスキショ虚妄なんですが、おそらく初めて自分の元から離れることなく行動を共にしてくれたのが官兵衛だったから、半兵衛には官兵衛だけしか見えていない、という風に解釈したんですけども。

半兵衛自身が自分で認識しているのかは分からないけど、官兵衛の言うことは絶対、官兵衛の思い描く江戸こそが俺にとっての理想郷、官兵衛の邪魔をする奴は例え身内であろうと排除してやる、という強い意志が根底にあるように感じた。

そこが半兵衛にとっての原動力になっている点もあるような気がする、全ては虚妄です。 

 

半兵衛がやたらと攻撃的なのは人斬りを""自分達の思い描く理想郷を造り上げるためのゲーム(近道?)""と捉えているからなのかなあ、なんて勝手に思ってます。100人斬ったら何か変わるのかな。分かんないけど…


で、官兵衛の目に映る江戸という町と以蔵の目に映る江戸という町って似ているようで実は結構違うんじゃないかな〜と思っていて。

官兵衛・半兵衛は「理想郷を造り上げるため」に動いているけれど、以蔵は「理想郷を見つけるため」に動いている。

その違いは絶望度合いにある気がするんですよ。

 

半兵衛はきっと鼠が造り上げた江戸が嫌いだったんだと思うんです。気に入らんとかそういうレベルじゃない、多分。

 

半兵衛にとって鼠のいた江戸は絶望でしかなかったのかもしれない。鼠による救いや笑いが届かない場所で育ったのかな…


一方、以蔵は今の江戸を自らの手で変えたいと思っているようにはあまり見えなくて。

それは、小春と過ごしていた時代の江戸が好きだったからなんじゃないかと思うんです。

小春と過ごしていた江戸はおそらく鼠が活躍していた時代の江戸じゃないですか。だからこそ以蔵は新しく江戸を自らの手で構築したいんじゃなく、自分が好きだった江戸を取り戻してくれる人が欲しかったのかなと感じました。

 

ここで触れたいのが官兵衛の執着と絶望なんだけど、以蔵はまだ江戸や自分の未来に対して希望を抱いている(ように見える)のに対して、官兵衛はもう絶望しか見えていない気がして。

官兵衛にとっての理想郷はきっと""誰にも邪魔されることなく生きることが出来る江戸""なんだと思うんですけど、そこにも、おそらく希望なんかない。


官兵衛はどうして以蔵を引き入れたかというと、今の江戸が気に入らないという同じ思いを持っていたのを感じたからなんだろうけど、康二くんが劇場版パンフで言っていたように、共に行動して行くうちに以蔵だけは違う方向を向き始めていることに官兵衛は気付いていて。

ここは他の方の考察を読んで超共感した部分なんですが、新吉が追い詰められた時に以蔵に選択を委ねたのは官兵衛なりの最後の優しさだったのかもしれない、と思うなどしました。~完~

縁-YUÁN-と忘川河の伝説について

 

※めちゃくちゃ独自解釈です

 

6月23日、Snow Man 4thシングル「HELLO HELLO」内に収録される楽曲「縁-YUÁN-」のミュージックビデオが公開されました。

Snow Man「縁 -YUÁN-」Music Video YouTube Ver. - YouTube

この楽曲はメンバーである佐久間大介さんが声優として初主演を務める映画「白蛇:縁起」の主題歌となっております。

詳しくはこちら↓

「白蛇:縁起」日本語吹替版

いや、めちゃくちゃ良い曲です。余談ですが昨日まで私は映画予告で流れた以外の部分はMV公開まで聴かずに取っておこうと決意を固めていたのでほぼ初めて聴くに等しかったのですが、いや、重い重いボディブローを食らいました。しばらく立ち直れそうにありません。

 

そして案の定私のツイッターのTLは感想やら考察やらで盛り上がっていたのですが、RTで流れて来た考察の中に「忘川河」と呼ばれる中国の伝説とMVを絡めてお話をされていたツイートが流れて来まして。

その考察があまりにも素晴らしくてもう少し深掘りしたくなってしまい、忘川河の伝説を調べていました。

今回参考にさせて頂いたサイトはこちら。すごく分かりやすく解説してくださっています。↓

忘川河傳說(忘川河の伝説・別名:笑窪の伝説) | 伊賀山人音樂故事

 

  • 忘川河の伝説について

忘川河とは読んで字のごとく「渡ると今世の全てを忘れる川」のことで、日本では三途の川と呼ばれるものです。人は寿命が尽き輪廻転生をする為に黄泉の道を辿ります。その道の果てに忘川河は存在するのですが、その際孟婆(忘却を司る冥界の女神)によって渡される孟婆湯(忘却へと導く水)を口にします。

孟婆湯を口にすることにより、河を渡る人間は今世の全てを忘れます。全てを忘れるということは、嫌なこと辛かったこと苦しかったことを忘れられますが、同時に深く愛し合った人のことも記憶から消え去ってしまうということ。

しかし、人間の中には想い人のことを忘れたくないと湯を口にすることを拒否する人間が存在します。孟婆は湯を拒否することをしぶしぶ承諾するのですが、その代わりに「痣」と「試練」を与えます。

そう、この忘却を拒否した人間に与えられる罰が、曲中の歌詞と映像演出にリンクしているなと感じたのでその部分に注目して書いていきたいと思います。

 

  • 千年続く恋、それは禁忌の恋

先述した通り、本来輪廻転生においては来世に対して今世の記憶を持ち越すことはタブーとされています。人間は輪廻転生の際全てを忘れ、また新しく別の人間として来世に還り一から人生を歩んでいくことがルールとされています。

そして人間は輪廻転生を繰り返す。たとえ今世で契りを交わし永遠の愛を誓ったとしても、黄泉の道へ足を踏み入れ渡る際にはその契りすら忘れなければならないのです。そう、縁-YUÁN-のテーマにある「千年の時を超えた恋」は本来はあってはならないものなのです。

 

  • 「河を渡る」のは、重い罪を犯したから?

忘川河は今世での行いによって3種類の渡り方があります。善い行いをした人間は橋を渡り、軽い罪を犯した人間は浅瀬を、重罪人は深瀬を渡るとされていました。

曲中の歌詞に""同じ河を渡ろう""とありますが、この歌詞から推測するに曲中の人物は今世で何らかの罪を犯していることになります。

おそらくその罪というのが、輪廻転生を超えても続く愛なのではないかなと個人的には感じました。許されざる愛、禁忌を犯した愛と知りながらも愛する人を求めて糸を手繰り寄せ、縁を探す旅を続ける。そしてその旅の行く末に同じ河を渡ろう、となるんですね。

 

  • 忘却を拒否した人間に与えられる痣と試練

ここからが本題(?)です。忘川河の伝説について紹介した際、孟婆湯を口にすることを拒否した人間には痣と試練が与えられると記しました。その痣は笑窪と呼ばれる「頬にある痣」胸元の痣背中の痣の3種類が存在します。

そして、その痣(笑窪)を付けられた人間は河に飛び込み溺れそうになったり火炙りに遭うという試練を課せられます。そしてその試練は、千年続くとされています。

それを踏まえた上でのMV2:32~ ""生まれ変わり 逢いに行くから""と歌ったシーン、岩本さんの頬~鼻にかけて歌詞が写し出されます。そして再び3:02~阿部くんの片頬に「紅线牵(中国語で運命の赤い糸を意味する)」という言葉が浮かび上がります。その後のシーンではメンバーの頬や身体に様々な言葉が浮かび上がります。そう、まるで痣や笑窪が付けられたかのように。

生まれ変わり逢いに行くという決意、それは今世での記憶を失くさずに輪廻転生をするという禁忌を犯す宣言でもあるのです。

そして燃え盛る炎の中で永遠の愛を歌うように思わせる演出があったり、水中で光を反射させたかのような光の演出が出て来たりします。その演出に込められた意味を私は「千年の時を超えた禁忌の恋に与えられた罰」と解釈しました。

 

  • 愛と情念と執念

ここからはツイッターでも喋ったことを再放送するだけになるのですが、縁-YUÁN-という楽曲が掲げているテーマは「終わりのない愛」であると個人的には思っていて。曲中の人間は禁忌を犯し、試練という業を背負って愛する人と巡り会うために千年の旅に出ます。

その様子を運命の赤い糸を手繰り寄せる様子に見立てているように見えたのですが、私はあの幾重にも張り巡らされた糸に愛だけでなく情念や執念、そこはかとない狂気を感じました。

何度生まれ変わってもまた君を愛す、そしてその想いは輪廻転生を繰り返す度により強く濃く深くなっていく。それと呼応するように手繰り寄せる赤い糸も結び目は強固なものになっていき、段々と絡まり解けなくなっていくように思えるのです。やがて運命の赤い糸は自身を覆う繭のようなものになり、手繰り寄せることはおろか抜け出すことも出来なくなるのではないでしょうか。

何度も何度も数え切れないほど繰り返す、終わらない愛。それはいつの間にか愛情だけではなく自身の先に伸びた赤い糸に対する執着と情念が混じり合い、狂気を孕んだ呪縛にも似た愛になるような気がしてならないのです。

愛の行く末は天国なのか、地獄なのか。輪廻転生を繰り返す限り、終わらない。でもそれは同時に、時間を超えた永遠の愛とも受け取れます。終わらない愛こそが、曲中の人間にとっての幸福なのかもしれませんね。

 

曲中のふたりが、結ばれることを祈って。